強制収容所に入れられた収容者の心は?

2月19日は「強制収容を忘れない日」

2月19日は「強制収容を忘れない日」。太平洋戦争開戦直後、当時のアメリカ・ルーズベルト大統領の命令で、日系アメリカ人11万2千人が強制収容所に収容された1942年の同日にちなんで制定されました。

1941年12月8日、日本軍はハワイ真珠湾を奇襲攻撃。アメリカは日本に宣戦を布告し、両国は戦争状態に突入しました。翌年2月19日には、ルーズベルト大統領が、軍国防上必要がある場合に敵性外国人の強制隔離を認める大統領行政命令9066号に署名。対象にはドイツ系やイタリア系アメリカ人も含まれていましたが、真珠湾奇襲攻撃への憎しみや黄色人種への差別感情などもあって、日系アメリカ人だけが強制収用の対象となってしまったのです。

こうしてアメリカ在住の日系アメリカ人たちは身柄を拘束され、仕事を失ったばかりか所有不動産なども二束三文で売却する羽目に陥り、ほとんど着の身着のままで僻地の収容所へ送られることとなりました。

収容所で日系人の心はどう変わったか

収容所に強制収容された日系アメリカ人たちは、絶望的な状況に直面することになりました。では、彼らの心の変化はどのようなものだったのでしょうか?

一般的に収容所に収容された抑留者の収容直後の心の変化としては、環境のめまぐるしい変化から自分の心を守ろうと、周囲の変化が自分とは無関係であるように感じる「急性離人症」と呼ばれる症状を呈します。

さいわい日系人の場合はそこまでの恐怖はなかったようですが、ナチスの強制収容所などの死が間近に迫った環境では、次の反応として迫り来る死への恐怖が襲います。さらに収容が長期化するにしたがい、絶望的な状況を感じまいとして感情が麻痺。無関心無感動な状態が続きます。極限状況で抑留者たちは次第にモラルや思いやりを失ってゆき、争いや盗みなどが頻発。運命を握られた看守の意のままにあやつられる道具へと化してしまいます。

しかし、日系人たちの場合は、こうした状況下にもかかわらず強靭な精神力と助け合いの心で互いの思いやりと規律を保ち、みなで誕生パーティーを開き、枯れ木でプレゼントの飾り物を作るなど、ささやかな喜びを見出すことで、この苦境を耐え抜きました。

そして、終戦。ナチスの強制収容所などにおける解放直後の抑留者の反応としては、急な環境変化によって収容時にも見られた「急性離人症」や表情を失った無感情無感動の状態がしばらく続きます。その後も「強制収容所症状群」と言われる神経症状を慢性的に発症。無関心無感動、不安、うつ、無気力、不眠、強迫感、引きこもりなどの症状を何年にもわたって繰り返します。一方、解放後の日系アメリカ人も収容所の話をするのをかたくなに拒む人がいるなど、心に深い傷を負いましたが、無一文から必死に働き、その後多くが政財界で成功するなど確かな地位をアメリカで築き上げました。